更新するのが遅れましたが、木曜日の朝一で観てきました。
14日にハシゴを断念した作品、ミッキー・ローク主演の『レスラー』です。
残念な事にMOVIX川口には入ってこなかったので、さいたま新都心に足を伸ばしました。
混む時間帯ではありませんが、それでも観客は20人程。年齢層は幅広く、男ばかりでした。


主役のランディはプロレスラー。20年前はマジソン・スクエア・ガーデンで名勝負を繰り広げる程の人気レスラーだった。今は小さい団体で地方興業に出場している。客の入りが十分で無ければファイトマネーも少なく、トレイラーハウスの家賃も滞納を繰り返し、試合の無い日はスーパーでアルバイトをし、生活費を稼ぐ日々。
あるデスマッチの試合後、彼は倒れる。心臓のバイパス手術を施され、担当医からはレスラー生命の終わりを宣告される。
宿敵アヤトッラーとの20周年マッチを諦め、引退を決意するランディ。彼の生活は変わろうとしていた。馴染みのストリッパーのキャシディに自分の事を打ち明けて親密になり、今まで疎遠だった一人娘ステファニーと歩み寄り、今まで裏方だったスーパーでは惣菜売り場に配置変え。最初は嫌々だった接客も、持ち前のパフォーマー気質を活かし、波に乗ってくる。
少しずつ新しい生き方に慣れてきたある日。ちょっとしたズレ。娘との関係の悪化。キャシディからの交際の拒絶。スーパーでのトラブル。ランディに残されたのはリングだけだった。彼はプロモーターに連絡し、20周年マッチを申し出た。そして…


この作品を観て、『グラン・トリノ』が思い浮かびました。主人公の向かう方向性は違うものの、年をくった男の不器用さは寂しく、心にグッと来るなぁと。
レスラー一筋に生きてきたランディが、その道を断たれ、そして新しい生活に一時の幸せを感じる。この中盤での展開は、しかし長続きはしないだろうと、スクリーンの前の観客は誰もが感じていただろう。だからこそランディがステファニーやキャシディとの間に笑顔を見せ、彼女らと踊り、そして涙を流すシーンが胸に印象強く残るのだ。
そして、その温かい外の世界を維持する事が彼にとっては困難で、自分の身体よりもリングを優先してしまう事に。
彼の場合、死をも恐れずに戦いに向かう、そんな綺麗事では無い。これは逃げなのだ。簡単では無いだろうが、娘やキャシディとの関係を修復する事は可能だろうし、同じ職場には復帰できないだろうが、他の仕事を探す事だって出来たはずだ。
宿敵アヤトッラーが引退後に中古車ディーラーとして成功している様に、彼にも第二の人生が待っていただろうに。
けれど、ランディはリングに向かう。ファンが待っているから。声援に包まれ自分が主役でいられるから。自分が考えた様に試合を運び、観客を沸かせ、全てを思い通りに作り上げる場所。それがリングだから。身体中を傷だらけにしても、心臓が苦痛を訴えても、彼は戦う事を止めない。彼にとっては思い通りにならない外の世界よりも、リングの上の方が楽なのだから。でも、人生は、人間関係は、思い通りなんかにはならないんだよ。だけど、彼にはそれが出来なかった。
あまりにも悲しい主人公。けれど、だからこそ魅力的に感じる。


プロレスはよくイカサマだショーだと揶揄される。けれど、他の格闘技のほとんどが敵の技を避け、防ぐのに対し、プロレスは逆を行く。敵の技を受けてなお耐えて魅せるのがプロレスだ。それでも立ち続けるプロレスは、格闘技の中で群を抜いて耐久力とスタミナが必要とされるのだろう。
この作品ではその演出部分にしっかりとカメラを向ける。どうすれば観客が盛り上がるか、試合前に対戦相手と綿密に打ち合わせをする。派手に流血するのを見せるために、隠し持っていたカミソリの刃で自分の額を切る。デスマッチでは有刺鉄線で肌は切り裂かれ、割れたガラス片は肉に食い込み、ホッチキスの鋲が全身に打ち込まれる。試合の流れは作り物でも、そのために流される血と傷は本物なのだ。こんな事を続けていては長生きなど出来る訳がない。
ランディがファン感謝イベントに参加するシーンがある。そこに参加していた引退レスラーたちは義足や車イス生活など、障害者が多かった。ランディ自身もプライベートでは眼鏡と補聴器を使用しているのが印象に残る。


近所の子供をTVゲームに誘うシーンがある。彼の部屋にあるゲーム機は何とNES。そう所謂ファミコンなのだ。そしてソフトはプロレス一択。ランディ自身を使い、子供の使うアヤトッラーをフォールして得意になる。子供はシラケていて、『コールオブデューティ4』がやりたいと話す。この辺のギャップも悲しい。


この作品ではランディを背中側からカメラが追いかけるカットが多い。そこには彼の人生で積み重ねてきた哀愁をイメージし、なおかつスクリーンを観る観客に感情移入をさせる意味合いがあるのだろうが。普段、彼の背中は長髪に隠されている。が、最後の試合の前、そこにキリストを描いたタトゥーが見える。中盤、キャシディがランディの事を映画『パッション』のキリストに重ねて語るシーンがある。
また、彼のリングネームには「ザ・ラム(羊)」のニックネームが入る。タイツやアームリストにも羊の図案がある。必殺技「ラム・ジャム」を繰り出す時、コーナーポスト上で、重ねた両手に頬を乗せ、「お休みパフォーマンス」をする。これは眠る時に羊を数える事を意味しているのだろう。
彼は殉教者なのか、自ら磔台に向かうキリストなのか、生贄の羊なのか。


こういう書き方は偏見かもしれないけど、この作品が心をえぐる観客層は、ある程度年齢を重ねた男性だと思う。若かったり、女性だったりすると、根本的に感情移入できないんじゃないだろうか。あと、タイミング的に三沢ファンは冷静に観られないかもしれませんね。
それから、映像面で痛い描写が多いです。特にデスマッチのシーンでは傷口がパックリ開いてたり、背中や額に鋲が打ち込まれていたり、目を覆いたくなる様なシーンもあります。
また、ストーリー上、ストリップバーが何度か出てくるので、女性の方は抵抗あるかもしれませんし、一緒に観に行く方は気まずくならない相手を選ぶべき。少なくとも、デートには向きません。


アカデミーは主演男優と助演女優にノミネートされただけでしたが、ヴェネチアの金獅子など多くの賞を受賞しています。
個人的にですが、私は『スラムドッグ』よりも『レスラー』の方が面白かったですし、繰り返し観たいと思いました。
私としては10点評価で9点。今年観た作品では『グラン・トリノ』の次に良かった作品です。


ミッキー・ロークについて。
私は『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』と『エンゼル・ハート』の彼が好きです。共に私が十代後半の時に観た作品でしたが、当時所属していたサークルの会誌や自分の個人誌で彼の事を語っていた事を憶えています。
しかし、例の「猫パンチ」以降は口に出すのも恥ずかしくなる様な位置付けになってしまい、一時期は完全に過去の人になっていました。
たぶん『バッファロー’66』だと思うのですが、その辺りから私の観る作品にもチョコチョコ見かける様になってきました。『シン・シティ』はメイク有りなので別格ですが、『レジェンド・オブ・メキシコ』での彼はアントニオ・バンデラス、ジョニー・デップの影に隠れてしまった感もありますが、地味に良い役だったと思います。
彼自身の人生が今回の役とのシンクロ率を高めたのでしょうね。
パンフレットによれば、今回の役は当初はニコラス・ケイジだったそうで。しかし監督はミッキー・ローク以外では考えられないとスタジオ側の要求を拒絶。製作費をカットされても彼の起用に拘ったのだとか。ニコラス・ケイジじゃランディのイメージじゃないかな。少なくともレスラーとして迫力のある肉体造りをするニコラス・ケイジを想像できない。説得力も無いし、凡作で終わっていたんじゃないだろうか。
そうそう、彼は『アイアンマン2』の敵役に決まっているのでした。期待しています。