『INTRABORDER』

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疾駆猿の第漆回公演『INTRABORDER』を観てきました。場所は池袋のシアターKASSAI。16日の『魔笛』と『希匣』、20日の『斜陽』、21日の『希匣』、23日の『斜陽』と『魔笛』。3エピソードをそれぞれ2回ずつの計6回の観劇でした。

推しの山下聖良ちゃんが出演していない舞台をこれだけリピートするのも私としては珍しい方で、それだけ疾駆猿が気に入ったという事でしょうか。疾駆猿と出会った経緯などは別記事に連ねてみましたので、そちらも合わせて目を通していただけると嬉しいです。↓

dyna-indigo.hatenablog.com

 

物語の主人公は考疑徹(コウギトオル)という作家、本名は浦越徹路。彼が「入源堂(ニュウゲンドウ・Nirgendwo)」という店で目覚める事から物語は始まります。記憶の一部を失くした彼は、謎の女店主に誘われ、自分の過去を辿っていく事になる… 

生まれた時に母を亡くし、戦争で兄を亡くし、やがて作家として成功し、幾人もの女性と出会い、そして堕ちていく人生を… 

 

 

では、話題があっちこっちに揺れて飛ぶかもしれませんが、思いつくままに感想を連ねていきます。

 

 

 

今までの疾駆猿の公演がほとんど『VAGUENIGMA』シリーズだった中で、そのタイトルを冠さない新作。ところが当日パンフのキャスト表を見てみると、シリーズのレギュラーキャラや前公演で登場したキャラなどが数人、さらに平成『VAGUENIGMA』に登場するシステム系のキャラも見受けられました。これは事件としては深く関わらないにしても、世界観の繋がってる外伝的な位置付けなのかもしれませんね。

あとは、主人公の人生に合わせて1作品の中で20年以上のスパンで描いていくという構成なのも『VAGUENIGMA』とは違った独特のテンポを作っていて。

それと、今まで『VAGUENIGMA』でも『ソラリネのユメ』でも佐藤信也さんは基本的には1作品内で1キャスト1役できっちりイメージを固めて物語を作っていた印象で、キャストさんに複数の兼ね役を振ったり、名前の無いモブ的な役やアンサンブル系は配置してこなかった様にも思います。その辺の作風を意図的に変える事であえて『VAGUENIGMA』とは別枠にしているのかなとも思いました。

 

 

舞台セットは中央に大きな円形のメインの台。その両サイドに小さな半円が付いて段差に。天井にはたくさんのランプ。メインの台上には横方向におそらく溝があって、そこを引き戸の様な形で大きな板がスライドしていきます。これが壁だったり格子戸だったり窓だったり木だったり、これによってその場を様々な情景にスピーディーに変えていく事ができます。仕組みとしては簡単なのですがとても効果的でアイディアとして秀逸だと思いました。それ以外の背景は黒一色。照明を暗めにする事で人物が影の中から浮かび上がってきたり、また飲み込まれる様に消えていったり、物語上の「影」というテーマと密接に結びついて、多種多様な光の演出と合わさって、まるで箱庭の様な、ランプの中に映し出される幻影の様な、魅力的な美術観のある舞台でした。

 

 

主人公の考疑徹は、観た人の多くが連想すると思うのですが、モデルとなった人物は間違いなく太宰治で、もちろん一致しない設定も多いのですが、関係する女性たちだとか入水心中する事だとか実際の太宰と重なって描かれていますね。師匠の井辻滝治先生もおそらく井伏鱒二がモデルかなと。

そしてこの作品の公演期間中の6月19日がちょうど太宰の忌日である「桜桃忌」でもあります。

また、エピソードタイトルの『斜陽』はもちろん『斜陽』、『希匣』は『パンドラの匣』、『魔笛』は『葉桜と魔笛』と、それぞれ太宰の作品から個別エピソードの着想を得ていると思われます。

 

 

この作品では「水」のイメージがとても印象的です。冒頭の雨音の中で水に飛び込む音とともに現れる考疑先生(これは終盤での展開に繋がるのですが)、劇中でやたらと雨が降っている。入水する川。金魚。そして登場人物たちの多くが名前に水を連想させる文字、さんずいの付く文字が使われています。さらに蓮上先生と漸黒さんの傘。

「水」から受ける印象は何でしょう? 浄化、境界、多様性、雨の場合は哀しみ、そして源。当たっているかはわかりませんが、演出からそうしたイメージを受けました。

 

 

夏祭り。もっとも好きな場面の1つです。キャストさんたちが舞台上に大勢登場して一人一人を見ているのも楽しいのですが。考疑先生と夕余さん、若旦那と照梅さんの2組が本来は別の場所にいるのにセリフがシンクロして交錯する演出。夕余さんの赤い私服と照梅さんの和服がまるで金魚の様に見えて、地面に落としてしまった金魚の儚さ、牢獄に囚われた様な、代替の効く存在という不安定さ、そんな金魚が2人の女性の姿に重なる象徴性。短い夏の賑やかさ、それが夕立によって突然終焉を迎えてしまう運命性。そうした物がこの1つの場面にまとめられている様で、とても好きなんです。夕余さんと照梅さんの対比も2人にこの後に訪れる運命、その意志と行動の比較という点でも重要ですし。

あと、ここで若旦那が急に帰ろうとするのは照梅さんと一緒にいるのを誰かに見られた事に気づいたからでしょうね。

 

金魚と言えば、彼津さんに連れられて行った料亭の格子戸に付いてるシルエットが蝶と金魚で。蝶はもちろんプシュケーで考疑先生、金魚は夕余さん。格子がまるで牢獄の様で、そこに2人が囚われている事を隠喩している様に感じました。この場面では考疑先生が夕余さんの幻に囚われていますし。

 

 

システムたち。私はまだ平成『VAGUENIGMA』における彼らをよく理解できていないのですが、『シブヤフィフティーン』に登場するピースシステムに似ているところがあるかなとちょっと思いました。

一昨日、ブロマイドをながめてて気づいたのですが、狭間黒槍さんの額のペイントが3本脚のヤタガラスの様に見えて。ヤタガラスは案内役で太陽の化身とも言われてますから、火のランプを手に考疑先生を導く黒槍さんのイメージに合っているのかなと。同じカラスでも傘を手に雨を引き連れている様なイメージの漸黒さんと対照的。考疑先生への接し方も、黒槍さんが優しさや慈愛や哀しみを感じる女神の様な印象を受けるのに対し、漸黒さんの方は嘲笑したり煽ったり楽しんでいる様なサイコパス的な印象で。でも漸黒さんも最後は「いってらっしゃいませ」と丁寧に送り出しているから、悪意ではないんですよね。

黒槍さんを演じる江口逢さん、冒頭からラストまで考疑先生を導くガイド役として、この舞台の世界観を象徴する存在としてとても素晴らしかったです。

漸黒さんを演じる那須美奈子さん、こちらも所作も表情もとても迫力があって見入ってしまうカッコ良さがあって、最高でした。

2人とも『VAGUENIGMA』の過去作で演じてきた役とも全然違って、演技の幅が凄いなと。

 

考疑先生の高校時代の友人、暮内アカヤ。私は彼がとても気になります。演じる義積雄大さんの技量もあって、底に何かが潜んでいる様な深い意味のあるキャラに感じました。

考疑先生の記憶から彼の名前が欠落していた事。彼の事を思い出していた時に頭痛に襲われた事。魂が入れ換わる「眠り流し」の話題の唐突感。父親の隠し子だったという流言飛語も同じく唐突感があります。小説について語りリンゴをかじる高校時代の徹路とシンクロする演出の意味。高校時代と大人になったアカヤが別人の様に印象が変わっていたという事。彼と夕余さんの姉弟2人にだけ同じ言葉「2度と会うまい」が発せられた意味。

黒槍さんが「誰かと入れ替わっていたのかも」と言っていますが、普通にミステリー作品として考えるなら高校時代に2人は入れ替わってるパターンなんですよね。ただ、それだと以降の展開につながらないので。モヤモヤが残るだけで私にはそれ以上に考察が進みませんでした。

 義積さん、薪場さん役との演じ分けが素晴らしいですね。編集部での場面、舞台の奥で指導されてたり、井辻先生や考疑先生と初対面になる場面でのゆるさ、何度観ても笑ってしまいました。

 

 

なにわえわみさん演じる照梅さん。若旦那と恋仲の芸妓さん。考疑先生の人生とはニアミスしているだけなので、本来なら無い物をあえて加えたという感じで、そこに重要な意味があって。前述した夏祭りの場面もそうですが、心中という行為を考疑先生に意識させるにはまず前例が必要だったと。そこで効果的に舞台上を彩るのが照梅さんでした。最初に描かれる、若旦那が来店したと聞いてぱあーっと表情が少女の様に輝く照梅さん。そして夏祭りで今の幸せと先への不穏を描き、別れ話からの無理心中という流れ。とても観応えのある場面でしたね。自らの意志で相手を刺し無理心中を遂げる照梅さんと、心中してくれと考疑先生に言われても泣き崩れ「生きましょう」と訴える夕余さんの対比。

若旦那を演じる福丸繚さんも、若旦那というイメージ以外の何者でもない若旦那的優男感にあふれていて良かったです。

 

 

2回目を観た時だったか、この作品の裏テーマとして「母」を軸に読み解く事もできるんじゃないかと思って。その片翼が桜井ゆるのさん演じる夕余さん。

前後しますが、ラスト間際で語られる、7歳の徹路が幻燈屋で見かけた母だと直感した女性が夕余さんそっくりで。「母の面影を追いかけていたのかもしれない」という様なセリフもありました。生い立ちでもまず「僕を産んで死んだ」と語り、「なぜお母さんがいないの?」という疑問。

初めて夕余さんと出会った時に徹路に衝撃が走ったという一目惚れ。これも単なる恋愛ではなく彼の心の中にある「母」にようやく巡り会えたのだと、それだけ大きな事だったのだと思います。だからこそ夕余さんは考疑先生の中でも特別で、唯一人本当に愛していた相手だったのかもしれません。裏切られた事に激昂し、堕ちていく転機になる。

別れた後も夕余さんの幻を見て取り乱し、アカヤが料亭みなとで働いていると聞くと夕余さんの行方を尋ねてしまう。待子さんへの不満も夕余さんとの比較から生じているわけですし。

そう、「母の面影」。あんな事が無ければ、夕余さんと末長く幸せに暮らしていけた人生もあり得たかもしれませんね。

桜井ゆるのさんはとても魅力的に夕余さんを演じてました。母性、にじみ出る優しさ、幸せそうな笑顔、前述した祭りの場面などの寂しさ儚さ、翔塀に手を握られた時の一瞬驚きからの微かな戸惑いの表情、考疑先生との最後の対話の場面の熱演も素晴らしかったです。(桜井ゆるのさん、3年半前の『ソラリネのユメ ふるこーす』で初めて観て、その後も数回舞台を観ていたのですが、今回ようやくご挨拶させていただきました)

 

 

 

 で、「母」という裏テーマの軸のもう片翼が石塚みづきさん演じる井辻英。

考疑先生の作家デビューにつながる作品の、プロ作家としての最初の「読者」として、ファンとして、そして担当編集者として、彼女は熱心に献身的に親身に本気に応援し支えてきました。そこに恋愛感情があったのかまでははっきりとはわかりません。でも、考疑先生に接する時の笑顔や目の表情は本当に輝いていて幸せそうでした。

そして「審判」の時。井辻先生の後ろで場のやり取りを哀しそうに辛そうに耐えている姿。あの時、英ちゃんは何を考えていたのだろう。

「作家の産み落とした作品を取り上げる」それが担当編集者としての役目。

考疑先生はおそらく夕余さんとの破局以降は作家としての自分こそが自分なのだと思っていたのでしょう。黒槍さんに名前を読み上げられた時にも「それは本名だ」と筆名こそが自分なのだと訂正してますし。

考疑先生が入水心中から川辺に這い上がってきた時、そこに英ちゃんが居合わせた事こそ運命。水の中から救い出される事、それはおそらく「分娩」の暗喩。一度、死の世界に旅立とうとした者が再び生まれ直した。あの描写はそういう事なのだと思います。そしてそれは徹路という1人の人間ではなく、考疑徹という作家、そして作品。

遺作を託された事で英ちゃんは文壇に名を残す考疑先生とその作品の「母」となり、夕余さんに殺してもらえなかった考疑先生はようやく英ちゃんに殺してもらえて生きる苦しみから解放され、考疑先生が死んで今後は二度と新しい作品が生まれない事により彼の担当編集者としての英ちゃんも死ぬ。

あの場面はそういう今までの全てが1つに結実する、真の「心中」の場面だと思うのです。ここの熱演、その後日談となる百華ちゃんとの対話場面、英ちゃんを演じる石塚みづきさんは凄いなと思いました。『VAGUENIGMA』でのヒミコも凄かったですが、この演技の幅。今後も期待したいです。

英ちゃん、この作品の中で私は英ちゃんが一番好きなキャラかもしれません。

 

 

「母」という点で女性たちを考えると、林真由美さん演じる姉の船子さんと、沖田桃果さん演じる女中さんは徹路の母親代わりだったのだなと。太宰も確か子守役の女性が母親代わりだったんですよね。

で、船子さん。役割としては地味な方ではあるんですけど、要所要所で良い表情をしていて流石です。こういう役に確実なキャストさんが配役されると安心して観ていられますね。林さん、『星降夜』の時も姉役がとても良かったですし。

 

 

三浦沙織さん演じる待子さん。旧姓は「海原」って字でいいのかな? この役も報われないというか、辛い事だらけですね。献身的に務めて平穏でいる場面では本人にとって幸せだったのかもしれませんけど。山本周五郎作品に出てくる様な芯のしっかりした女性を演じきって、沙織さん素敵でした。隙の無さ、考疑先生の求める夕余さんにあった「母性」とは違ったんだろうな。それが不幸。夕余さんとの対比としての重要性。

 

 

沖田桃果さん演じるテツコさん。この人はお腹の中の子の母親となってしまった事で、考疑先生の「母」からは脱落してしまったんだろうなと。

ただ、作品執筆に対する活力となったと語られていますので必要な存在ではあった。

水瀬ちゃんとは全然違う「小娘」感が出ていて、浦越家の女中との演じ分けもよかったです。

 

 

maicaさん演じるサキエさん。この人は終始、自分が大事であり、他者との比較であり、そもそも「母」の資格を持っていなかったんだろうなと。考疑先生の事もどれだけ本当に愛していたのか? だから考疑先生と入水心中をする権利を得ても、結局は水流に引き離され、1人で死んでいく事になった。運命が繋がっていなかった。

maicaさん、『VAGUENIGMA』の時に凛としてカッコ良さのあるお嬢様を演じてたイメージがあったので、それとのギャップもあって今回も観てて楽しかったです。

 

 

齋藤伸明さん演じる老人。この作品で一番不気味で表情も怖い。ツイッターである方に教えていただいたのですがディオゲネスが元ネタだそうで。よくセリフを聞き取ってみると確かにディオゲネスって自分で言ってました。セリフの意味などもいろいろ考えてみたのですが、この場面が挿入された理由がまだよくわかりません。薬の影響か、臨死体験による幻覚か、単に考疑先生の記憶から引き出されただけの、あまり意味の無い物だったかもしれませんが。

 

 

 回替わりエピソード。基本的には小説の題材探しのために取材するという形。

『斜陽』。元華族の物語。『VAGUENIGMA』でおなじみの高池順子さんから百華ちゃんルートと、彼津先生から考疑先生ルートで話が持ちかけられ、双方集まってという流れ。3編の中でもコミカルさに舵が切られ、振り回される考疑先生の挙動が新鮮。

「母」の息子への、死んでほしくないという愛。

植松はちこさん演じる順子さんも可愛いが、妻木尚美さん演じる まゑさんも可愛くて素晴らしい。百華ちゃんの百華ちゃんらしさ。

そんなコミカルな作風で、彼津先生のクズっぷりが描かれる。これは本編部分ではわからない事。

ところが、明るくは終わらず。借金のトラブルから彼津先生は新宿のサラギ組(『VAGUENIGMA』で出てきた暴力団ですよね?)に刺殺される。人生の無情さ。

 

 

魔笛』。私はこれが一番好き。英ちゃんからのルートで『VAGUENIGMA』の『絡糸』に登場した細維千早ちゃんへの取材。あちらが高校三年生だったのに対し、こちらでは一年生。

千早ちゃんの姉の遅美さんの性格、行動、手紙、そして事故死。厳格な父親と、娘を失った嘆き。姉妹の母は亡くなっていて、父の想いはそれだけ娘たちに向けられていたのだろう事が語られる。

ケセラセラ なるようになるさ」という歌。

千早ちゃんを演じるのはもちろん井上玲奈さん。『絡糸』の時のキリッとした性格と比較してずいぶんと柔らかい印象。姉を失って、自分が代わりにならなければという決意が生まれたのでしょう。そして、学園で更紗様への憧れへと繋がるのかなと。

『絡糸』で千早ちゃんが一番好きでした。だから今回その前日譚という感じで千早ちゃんのバックボーンが語られたのはとても感激でした。『絡糸』の時との演じ分け。とても期待できる女優さんだと思います。

遅美さんを演じるのは小宮弘子さん。所作が上品で、でも固くなく自由奔放さもあって。そして強い意志性もあって。とても可愛いです。歌声も素敵。

(小宮弘子さん、この方も3年半前の『ソラリネのユメ ふるこーす』で観て、そこで演じてたフユコ役がとても好きでした。ようやくまた舞台で観る事ができて、初めてご挨拶できて、とても嬉しかったです)

この細維姉妹と友人、こういう少女たちの可愛さも『女学生』などに見られる太宰作品の魅力の1つだと思います。この『魔笛』にはそれを感じました。

そして本編部分では良い印象のあまり無い飛垣翔塀。ここでは彼の性格の良い部分も少し語られています。考疑先生も翔塀に対してかなりのトゲトゲしい対応をしていてこれも新鮮。

 

 

『希匣』。薪場さんからのルートでサナトリウムまで出かけていって闘病患者の鳥羽オウイチの話を聞く事に。オウイチの恋心、その長い闘病生活の最後に少しだけ思い出が作られ報われ、そして死んでいく。

実は今回の事には真相があったのではないかと、ミステリー作品も書く向島さんが例えばの可能性として推理するのだが。これが真実だとするとオウイチは報われないなと。その代わりに、若くして死んでいく息子のために動く「母」の想いは描かれるのだけど。

本編では「審判」場面以外ではほとんどハッチャケてる向島さんの推理するという意外な面が見られますね。

 

 

物販では『VAGUENIGMA』シリーズの過去パンフを大人買いしまして。

あとはブロマイドの全種収納セットですね。これ、グッズ告知された時はその画像が印刷された物だと思い込んでいたのですが、実際は3段のフォトアルバムにブロマイド全種が収納されている物でした。バラで買うと7600円なのが4000円になりますし、元から20種類以上は買うつもりだったのですぐ飛びつきました。

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まあその他にもバラでけっこう買ったんですけどね。

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そちらには終演後のキャスト面会の時にご挨拶してサインをいただきました。6回のチャンスで11人にいただけたのはかなりがんばったと自分でも思います。しかもこのうち8人の方とは初めてのご挨拶でした。時間があればもっと他のキャストさん、特に男性キャストさんたちにもご挨拶したいところだったのですが、また次の機会を待ちます。

 

というわけで、観劇しながらいろいろ考えていた事を思いつくままに書き連ねてみました。出演者はみなさん誰もがとても魅力的でしたが、一部の方しか感想として書けなくて申しわけないです。

 

 

『INTRABORDER』はとても面白かった、そして、何度繰り返し観ても新しい何かに気づける作品でした。『VAGUENIGMA』と同じく内容的には人を選ぶ、好みの偏った作品だとは思います。でも私にとっては本当に楽しめたし、面白い作品を観た、凄い作品を観た、良い作品を観たと思いました。

『INTRABORDER』としてのシリーズは続くかどうかわかりませんけど、『VAGUENIGMA』と同様、これからも疾駆猿の公演を楽しみに待ち、佐藤信也さん、運営・案内スタッフのみなさん、出演者のみなさんの今後の活躍をまた楽しませていただける事を期待したいと思います。

ありがとうございました。