「コロン」


2月26日の土曜日、午後5時頃。愛猫のコロンが亡くなりました。我が家に来てから19年と8ヶ月。+2ケ月程の生涯だったと思います。
我が家には既に5匹の猫がおりました。その少し前、近所の植え込みの根元に生後半月くらいの赤ちゃん猫がないているのを私が保護しまして。猫ミルクなんかを買ってきて助けようとしたのですが、数日で力尽きてしまったのですな。
その数日後、うちの母がどこからか子猫をもらってきてしまった。それがコロンでした。
正直に言いますと、私にとっては不本意だったのですよ。既に5匹の猫がいましたし。その猫たちのエサやトイレの世話も基本的に私がやってましたし。部屋を荒らしたり食べ物を漁るなどの理由から、猫たちはほぼ私の部屋に入れたままという状態。結局ね、他の家族にとっては猫は可愛がるだけ。面倒事は私がほとんど引き受ける形になってました。そんな中、何も考え無しに、私が保護した子猫が死んじゃったから、じゃあ代わりにもう1匹って。はっきり言ってペットに対する安直な考え方に怒りを憶えましたよ。でも、もらってきてしまったからには受け入れるしかない。コロンとの出会いはそんな感じでした。


ただ、5匹の猫たちの関係はそれなりにバランスを保っていたので、そこにコロンが投入される事でそのバランスが乱れてしまったのですね。まず、クロ以外の猫たちは警戒しました。特にコロンが育って、力を付けてからが大変で。部屋の隅っこで萎縮してしまったルウ、逆に攻撃的になってしまったジュリアン。ケンカをとめるために私はしょっちゅう傷だらけ。時には猫から受けた噛み傷が深くて包帯する事も度々。争う度に棚の上に駆け登ろうとして本やら何やらを落とし、あるいは棚自体を倒したり。本はどれだけカバーをビリビリに破られたか。CDはどれだけケースを割られたか。
さらになわばり争いの意味があるんでしょう。コロンはトイレもきちんとできるくせに、ベッドの上でオシッコをするんですよ。ウンチはトイレを選ぶのに。ああ、こういうケースって多いのかもですね。何人かのマンガ家さんもあとがきとかで描いてたのを読んだ記憶があります。
で、掛け布団とカバーの間にペット用のトイレシーツを一面に貼って対応。コロンの体が大きくなってからはオムツ着用になりました。
他の猫との争いに関しては、今のマンションに引っ越してきた2001年を機に、ケージを購入。私の目の届かない時にはコロンをその中に隔離する形になりました。このケージ利用はルウが亡くなってクロと2匹だけになる平成18年8月まで続きます。
まあ、そんなこんなで大変な猫でした、コロンは。この子がいなければ発生しなかったトラブルですからね。


いや、大変な事ばかり書いてますし、手間のかかる事ばかり思い出される猫なんですが。でも可愛かったんですよ。まあ、一番愛着のあったのはルウなんですけどね。その次に私になついていたんじゃないかな。他の猫たちはわりと一歩引いた感じでこちらを見ていた気もしますが、コロンはこちらに寄ってきた。怒ったりした事も誰よりも多かった猫なんですが、それでも私を怖がったり嫌いにならないでいてくれた。


19年8ケ月。結果的に一番付きあいの長い猫になりました。
昨年から、何度も元気の無くなる時期を繰り返してました。年齢も年齢なので、これは寿命も近いんじゃないかと覚悟はしていたのです。
ところが先月半ばから食事の量が減り、みるみる痩せていきました。肉付きの良かった体が、あばらや背骨がはっきり判る様になり、食事を全く口にしなくなりました。水を少し飲むだけでベッドで寝たまま。そして珍しい事に自分から私の部屋を出て、他の部屋で何かを探す様な素振り。これはもしかすると死に場所を探しているんじゃないかと思いました。猫って、死ぬ前に飼い主の前から姿を消すって言われてるじゃないですか。あれかと思いました。
で、私が机の前にいる時は私の膝の上にいたがる。私が夜勤でいない時は妹の布団の中で寝たがる。明らかに今までとは様子が変わってました。
そして26日。この日にはまともに歩く事すらできません。水も自力では飲めず、スポイトで私が口に運んであげてました。寝ていて、姿勢を変えたいのか立ち上がって逆に倒れる。で、深く呼吸して、また寝たまま。手足にも力が入りません。
その日も私は夜勤があるので寝ておかなきゃならないんですが、実際には仮眠状態で数時間おきに目が冷める感じ。コロンは私の左横に抱える形で寝ています。15時くらいにはまだ息をしていたのを確認してます。
次に気付いたのが17時前。この時には冷たくなってました。でも最初はわからなかった。普通に寝顔なんですもの。まだ死後硬直も始まってなくて自然に見えました。でも、よく見るとお腹が上下してない。呼吸してないんですよ。それで、ああ、もう行っちゃったのかと理解しました。
他の猫だと、同じ様な状況でも最後に苦しむ様な声で目が冷めたりもしたのですが、コロンは本当に静かな最期だったんですね。コロン自信がどう感じていたかはわからないですが、少なくとも私から見た感じでは安らかに眠る様に行けたかなと。
翌日の昼、夜勤から帰ってきて。コロンをタオルを敷いた箱に入れて、足立区のお寺に連れていきました。他の猫たちも一緒に眠っている所です。


数日経って。まだコロンがいる様な錯覚があります。考えてみれば、他の猫が次々と旅立って行った時は、それでも私の部屋には猫が残っていたのですよ。最後のコロンがいなくなって、始めて部屋の中がカラッポになったわけで。この感覚はまだ引きずりそうな気がしますね。


今後、もう猫と暮らす事は無いでしょう。これから20年、私自身が生きていられる自信がありません。猫を飼ったとして、その子を最後まで看取ってあげられる保証が無いのです。だから無理ですね。
この20年以上の猫との生活。どうしても避けられない場合以外では外泊をしませんでした。自殺しようと思った時、あるいはどこかに失踪したいと思った時、猫たちを最後まで世話する責任が私を引き止めました。だからって明日にでも自殺や失踪するわけじゃないですけどね。ただ、これからはそういう決断を下す事もできるんだなと。
いやいや、話が変な方向にずれました。


何よりも、猫たちにありがとうです。色々な事を学びました。色々な事をもらいました。私の人生の半分以上を猫たちと一緒に過ごしました。その生活が終わって、その大きな存在は私の中にあります。


この世界には猫だけでなく多くの動物たちが人間とともにいます。幸せなだけではないでしょう。不幸な一生、可哀想な動物たちも多いでしょう。あるいは生まれてすぐに死んでしまう動物たちも多いでしょう。何がその動物たちにとって幸せなのか不幸なのかはわかりません。人間の解釈では理解できないのかもしれません。でも、少なくとも人間のエゴで動物たちが不幸な目にあう事が少しでも減る事を願います。